加島祥造『伊那谷の老子』朝日文庫、2004年
どこで読んだか忘れたが、加島祥造が伊那谷に小屋を建てて住んで書いたエッセイを読んだ。もう山には行けなくなった身体だったので、老子の線から加島祥造の本を手にしたのだろうか。今となっては接点が見えない。
箱を開けて読むシリーズで、最所フミ編著『英語類義語活用辞典』(ちくま学芸文庫、2003年)のあとがきで加島祥造が解説を書いていたのを読んで、加島祥造の本も箱から出してみた。
山に行っていた時期は長野県側の伊那谷や山梨県側の芦安から入ることが多かった。南アルプス北部の山が好きだった。甲府盆地から眺める白峰三山よりも伊那谷から眺める南アルプスと中央アルプスの山々が良かった。仕事で辰野町に来ることが多かったこともあり、辰野駅から豊橋駅を結ぶ飯田線に何度も乗って、山に行っていたから、加島祥造の文章も肌で感じることろがあった。加島祥造が暮らした駒ヶ根のある伊那谷の冬は寒いのだ。
その加島祥造が最所フミとの関係を解説に書いておかなければ、この本を取り出すこともなかった。
私が老子を知ったのは英訳のTAOの日本語訳だった。高校の漢文では老子を全部読むことはしない。漢文の老子は遠く感じたが、英語訳を日本語訳した本は今はもう手元にないけれども、想像力を刺激された。悩み多き青春時代は精神的なものへの憧れが強かったのだろう。当時は詩も書いていたが、何もかも古いものは処分してしまったことが悔やまれる。古い写真と最近のブログにしか自分は残ってない。
朝日文庫の大きな活字は老眼に優しい。加島祥造が京都の河原町の丸善で偶然手にした漢詩の英訳本はアーサー・ウエーレーの訳だった。荒地派の詩人でもある加島祥造が陶淵明や白居易の詩にモダンな人間的情緒を見出していたと書いていたが、読んでみたくなる。
このエッセイを読むと北沢峠の山小屋から見た夜の星々を思い出す。お前はいつまで都会暮らしをするのかと問われたような気がする。
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