『月刊京都2016年3月号』の鎌田東二 霊性の京都学 78 「朝鮮儒学と藤原惺窩」を読む。2月号に続き朝鮮儒学がテーマとなっている。
藤原惺窩は藤原定家の11代目の子孫である冷泉為純の三男として生まれて相国寺に学んだ。慶長の役で囚われた姜沆(きょうこう)から李退渓や李栗谷らの朝鮮儒学や朱子学を学んでいる。
「興味深いのは、近世儒学や朱子学の勃興が臨済禅を元にした五山文化の爛熟の中から生まれてきた点で、それを担ったのが藤原定家の子孫の藤原惺窩であったことと、藤原惺窩によりそれまでの神仏習合思想から神儒一致思想へと大きく神道思想の流れがシフトしていったことである。そしてそれが極めて現実主義的な倫理と政治の思想と実践であったことに注意しておきたい」。
鎌田東二は藤原惺窩にプラグマティストを見ているのである。
藤原惺窩の墓所は相国寺塔頭の林光院の境内にあるという。林光院は鶯宿梅で有名である。
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