喫茶店という存在

断片記憶

村松友視氏は「喫茶店という存在は、日本の土壌の中で独特の役割を数かぎりなく果たしてきたのではなかろうか」(『銀座の喫茶店ものがたり』白水社、2011年)という。

村松氏が言う役割とは、オルデンバーグの「サードプレイス」としての喫茶店の役割を思い浮かべれると少し違和感がある。恋人達が話しするには狭い部屋や応接のない家の応接の代わりを独特の役割とみているからである。

私は喫茶店が独特の役割を担ってきたというよりは、流行により様々なサービスが提供されてきた場所と言われた方がしっくりする。喫茶店にピーナッツの販売機やビデオゲーム機が置かれていた時代もあった。音楽喫茶というものもあったのである。

商談したり、ドイツ語会話を習ったり、孤独を噛み締めたりする場としての喫茶店の役割は他に求めることもできたであろうが、私は身近な存在である喫茶店を選んできた。

銀座という場所にある、喫茶店と言えるかどうか微妙な資生堂パーラーを村松氏は緊張感を持って訪れることからこの喫茶店巡りを始めた。しかし、入ってみれば、心地よい緊張感は喜びに変わったという。

手軽な珈琲チェーン店とは違う銀座の喫茶店を私は本でしか知らないが、この本に誘われて行ってみたくなる。

向島の喫茶店を歩いて、モーニングしたり、ランチしてみるという観察を重ねた結果、個性的な喫茶店が数多く残っていることが分かっている。

京都との距離感を取りながら、すでに行きつけになった店以外に行く理由を考えてみるのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました