夕焼け京都塾は山折哲雄塾頭のもと2010年11月に立ち上がった私塾である。多彩なゲストを招いて、お話を聞いた後、夕陽を眺め、食事をし、酒を飲み、ゲストや山折哲雄塾頭との意見交換会がある。高橋武博氏が世話人代表を務めている。
第24回夕焼け京都塾(甲部)
日時:2016年7月10日(日)17:30〜20:40
場所:霊鷲山正法寺
ゲスト講師:相国寺塔頭養源院住職 平塚景堂 氏
神輿洗いを迎えるお迎え提灯の行列を見送って、八坂石段下でタクシーを拾い霊山(りょうぜん)へ。東山安井から高台寺方面へ向かい、高台寺を見送り霊山歴史館の先の坂を上がりきったところで、車を降りる。下れば、故山村美紗氏の家がある。
正法寺の石段を登っていく、帰りは暗いのでライトを持ってくる用心が必要だったか。
受付し、登録用紙や名札を書いて、書院で休憩していると、始業の鐘が鳴って、本堂へ蚊取線香を持って移動する。煩悩のカードを本堂に上がるときに納める。蚊取線香は外の廊下に置くように指示される。黙祷のあと、ゲスト講師が紹介される。平塚景堂氏は臨済宗の老師であるが、日本画家であり、作曲家でもある。9月に個展を開くとのこと。
テーマは「心とは何か」だった。資料は漢文の読み下しである。達磨、慧可、徳山のエピソードを取り上げ、「心不可得(しんふかとく)」という悟りを考える。すごくスリリングな話だった。
すべて知っているエピソードだったが、私は受け止めていないことが分かった。「無思想」ではなく「無の思想」を読みかけでやめてしまっていたが、西平直『無心のダイナミズム』(2014)や鈴木大拙『無心ということ』(2007)にそのうち戻れそうな気がした。
慧可については、この間、京都国立博物館で雪舟の慧可断臂図(えかだんぴず)を観たことを思い出した。老師は断臂のエピソードは誇張とみている。
最後に戒律について、「無相心地戒」を禅的解説して終わる。
書院にもどり、夕焼けをヒグラシの声やウグイスの声を聴きながら眺めた。さっきの話が時々思い出される。雲の中に夕陽が沈むと、お弁当とお酒の時間になる。
意見交換会では山折哲雄塾頭が夏目漱石の『こころ』について、朝日新聞の連載では『心 先生の遺書』と漢字の「心」だったのが、本にするときひらがなの「こころ」になったことの意義を話された。日本人の煩悩としての「こころ」はひらがなだった。仏教を中国で学んだ思想家は煩悩のこころをコントロールする言葉として漢語の「心」を使うとコメントした。
老師は「心不可得」を体験するのに修行はいらないという。いかにも臨済禅的な言い方だ。漢字の「心」とひらがなの「こころ」を分けて考えてはつまらない。
終業の後、蝋燭の灯火やLEDの明かりに導かれて石段を降りて門に至った。
夢のような時間は終わった。
#京都 #山折哲雄
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