『月刊大和路 ならら 2017年1月号』は「めでたいワン!新春コマ犬劇場」ということで、酉年にも関わらず狛犬特集だった。小寺慶昭氏の「狛犬観察のすゝめ」で東大寺南大門の狛犬の説明をしていた。
「東大寺南大門の狛犬は中国のものなので両方獅子で、かつ阿形です。上海周辺の石を用い建久7年(1196)南宋の石工が作りました。体をそらせて吠える「獅子吼(ししく)」の姿は、その後の造像にも影響してます。ちなみに中国はヨーロッパ的な感覚が強く、動物に首輪を付けるのです。南大門の狛犬も首輪を付けているでしょう。でも日本は付けない。民俗性が如実にでます」。
小寺氏によると、狛犬は全国で約6割の神社にしかいない。狛犬は獅子(ライオンがモデル)と狛犬(角がある)で一対になっているのが基本という。狛犬は単体を指す場合と一対の総称の場合の2通りの使い方がある。
後半は丹波佐吉という石工の生涯を磯辺ゆう氏が案内する。
注)
東大寺南大門の狛犬の詳しい由来は、足立巻一氏が「渡来石工の行方」(『季刊銀花第29号』文化出版局、1977年)として書いてあった。
「鎌倉時代、東大寺大仏殿復興のために、宋から石工集団が招かれた。造営が終わった後、石工たちは次次と宋へ帰ったが、棟梁の伊行末だけが日本に残り、奈良で没した」。
伊行末の作がはっきりしているのは、般若寺の十三重石塔と東大寺三月堂前の石灯籠である。伊行末の業績は、嫡男行吉が父の一周忌に建てた般若寺の二基の傘塔婆に刻まれているという。
足立巻一氏は「『東大寺造立供養記』によれば、宋人字六郎ら四人が、大仏殿内の二脇士、四天王の石像と中門の石の獅子などを造ったという記事が見える」とし、永禄十年(1567)の戦火で中門の獅子が南大門へ移されたとみている。
足立巻一氏によれば、字六郎等は大野寺の線刻大磨崖仏も造っている。足立巻一氏は字六郎を伊行末ではないかと考えている。
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