「学んだ気」になること

断片記憶

今月から、本の片付けをやめて、本の区分だけにして、読む時間に充てる。

今月は、実学の本が課題図書になっているし、Webラーニングも続けるため、ブログに割ける時間は1時間(ただし、細切れ)くらいしかない。セミナーやらも16回と朝だ夜だと入っているので(申し込んだのは自分だが)、まさに「学んだ気」になりそうである。

渡部昇一氏の『実践・快老生活』(PHP新書、2016年)を読みながら、本の読み方を考えてみる。渡部昇一氏は漫然と読むなという。課題を持って読書することを勧めているのだ。

仕事と「学ぶ」ことについての考察がある。

「仕事をやっていると、知識を得、給料を得、地位を得、人間関係が深くなる。自分の仕事に関連する専門分野のことも一生懸命に勉強するだろうし、様々な努力もするだろう。だから、ついつい「学んだ気」になっている」(P188)。

耳が痛い言葉である。

変化の激しい分野は現役を離れれば持っている知識の陳腐化が進む。「学ぶ」姿勢を疎かにしてはなるまい。そして、「学ぶ」分野も老後に相応しいものにシフトしていくことになる。知識の蓄積がものをいうため、文化系の人であればシフトする必要がないということもある。

働いている以上、実学を基としながらも、修養や「人間学」が必要になる場面が増えていくことにも思いあたる。規則を覚えるよりも何故そういう規則になっているかの考え方を問い。法律でいうならば個々の条文を追うのでなく立法趣旨から条文を解釈する。その考え方は立法体系にまで及ぶ。

大局的判断となると、戦略の良し悪しということになるが、簡単に判断を下せるものでもない。理念、共有価値との合致を優先させるとしたら、それこそ人間学が問われてくる。

しばらく、実学中心でやるので、このブログも、時々更新することになりそうである。

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