上山春平『城と国家 戦国時代の探索』小学館、1981年
Ⅲ 城と合戦
戦国好きとしてはこれが一番面白かった。結構前の話だが、新鮮に読めた。
上山春平によると「直接のテーマは、長篠合戦における信長の戦法の分析であるが、私自身の ねらいは、日本史上唯一の自生的国家プランである 幕藩体制の成立過程に、城郭史の観点から、一つの光をあててみる点にあった」(P145)。
「日本の城郭の歴史をふりかえってみると、律令国家成立期と明治立憲国家の成立期に、ひとしきり外来風の城郭がつくられているが、私の目下の関心は、鎌倉時代から江戸時代にかけてつくられた、土着的もしくは自生的な城郭に限定されている」(P150)。
著者の関心は山城にある。しかし、山中に築かれた「中世城郭」と平地に石垣を築き、天主を備える「近世城郭」とは明らかな断絶がある。山地から沖積原へ城が進出し城下町が突然現れたのは何故か。ここが本来のテーマとなる。
さて、長篠合戦は、今の議論がここですでに展開されていた。
(1)三千梃三段打ちの作り話
三千梃三段打ちの話は当時の先込め式の火縄銃の技術的な問題として指揮することが不可能であり、鉄砲だけで武田軍と戦って勝てた訳ではない。
(2)長篠城補給作戦
鳶ノ巣砦奇襲作戦は武田勝頼に囲まれて籠城する長篠城への織田信長・徳川家康による補給作戦として行われたと考えると理解しやすい。待ちの作戦で動かない織田・徳川軍としては、長篠城を救う目的を達成しなければならないのは当然である。
城郭研究が徳川幕藩体制の成立とどのような関係をもっていたか、この後の展開は残念ながら知らない。上山春平のこの後の本を調査して見たいと思う。
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